外は雨が降っている。冬がそこまで来ている。私達北陸の人間にとって冬は家に引きこもり春が来るのを夢見ながら過ごす季節だ。高校生の頃、私は真夜中の雪の降る町をさすらっていた。そして同級のRが街灯の下で雪の降るのを見上げながら踊っている光景に出くわした。なんとも言えない神聖な光景であった。普段は見えぬ彼女の激しさを感じた。
バルザックの作品にセラフィタという幻想的な名作がある。北国の人間が冬を生き抜くためには夢見る時間が必要なのだ。音は雪に吸われ、凛とした世界が広がる。全てを覆い尽くす真っ白な死の世界。雪国からしか生まれない作品だ。
今日、金沢市の担当者から連絡があって、観光会館での「めんたんぴん」の演奏は出来ないことになった。なんだかほっとしたような気持ちだ。抜き打ちの新聞発表からこれまでの出来事を通して、このことにエネルギーを使うことが本当にeAT金沢や金沢市のためになるのか、めんたんぴんのためになるのかを考えた。やれるならなんとかやっただろうが、今は静かな気持ちだ。
今いろんな曲を書いている。そしてそのルーツになった曲や体験を思い出している。あの頃良く聞いたレコード。単に記憶の一部というよりはもう自分自身でもある。私が何かを作り出せるとしたら、それは本当にそこへ飛び込むことが出来た時だろう。そのためにも冬が必要なのだ。
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