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eAT08
eAT金沢から帰ってくると元気になる。コンテンツ制作において成功した方々に囲まれるわけだから出戻りでまだ芽の出ない自分にはちょっとまぶしい世界なのだが、けちな自尊心を吹き飛ばしてくれる世界がある。自分を開けば応えてくれる人達だ。

今回はソフトを10億本売った任天堂の宮本さん(今もWiiが毎日10万台工場から出荷されている)と初版4000部で伝説の漫画雑誌ガロ(今は書名をアックスと変えている)を維持している手塚さんが同じ部屋にいることが象徴的だった。セミナーもずいぶん実のあるもので詳しくは時間のある時にお伝えしたい。しばらくは制作に集中しよう。

それにしてもしりあがり寿さんのプロデュースは実に見事だった。本当にお疲れさまでした。来年はプロダクションIGの石川光久さんがプロデューサーだ。これで12年も続いたeAT金沢。毎年議会ではこんなことは無駄遣いではないかという議員がいるそうだ。その成果を示せるように私も頑張りたい。

今年のセミナーや夜塾で皆が共有したことが一つある。「目の前のことに集中せよ」だ。大仰な目標でもなく太陽に向かって走るのでもない。目の前のやるべきことに集中し、そこから自分の体験とノウハウを引き出し、フィニッシュすることの達成感を重ねていこうということだ。その積み重ねが彼らを今の立場に導いたのだ。
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【2008/01/28 10:04】 | eAT金沢 | トラックバック(0) | コメント(0)
eAT金沢
NHKで再三再放映しているジブリの鈴木さん(彼はeAT03に来てくれた)の話が心に染みる。人の心を動かすことの出来る人は学びたいものを持っている。鈴木さんは仕事を「祭りにする」という表現を使う。とても解りやすい言い方だ。偶然の要素が加わらないと驚くようなものは出来ない。もう20時間ほどぶっ続けで作業をしているから少しは祭りになってきた(笑)

eAT金沢は浜野保樹氏の作品となった。本当に凄いことをやられたと思う。最高顧問に就任され、ひとつの時代(10年)にピリオドが打たれた。引き継ぐのは中島信也氏。この後を出来るのは世界でも彼しかいない。

http://www.eat-kanazawa.jp

ウインドウズに移植して、これまでの抑圧から解き放たれようだ。
【2006/04/14 05:33】 | eAT金沢 | トラックバック(0) | コメント(0)
eAT金沢の話(10)
第十回目となるeAT金沢が終わった。今回はテーマが「ルール」。これまで奔放な軌跡を描いてきたeAT金沢の中で初めての現実的なテーマだ。これまでも「深く越境するアート」など時代を先取りする素敵なテーマは多くあったが、今回は現実的で明確なテーマだ。総合プロデューサーである佐藤卓氏のデザインの現場、ビジネスの現場で体験から出てきた重みがある。ロッテクールミントガムのデザイン裏話「くじらは潮を吹いていた」は会場にいた全ての人が納得する素晴らしいものだった。レセプションパーティーでも熱気は冷めやらず早朝まで飲み明かしたゲスト多数。

明けて芸術村でのセミナー。会場は若い人中心で熱気が溢れている。第一回目では企業にお願いして社員を動員していた頃が嘘のようだ。eATは金沢に定着したのだ。そしてその最高の功労者、浜野保樹氏がセミナーAで言った「私の作品を作るルールは、二人の子供に伝える価値があるかどうかです」という言葉は重かった。私はどうなんだろうと思わず考える。これまでも私は無断で浜野さんの著書にある言葉や、普段の言動をたくさん受け売りをしてきたが、今回を最後に委員長を勇退される浜野氏の最後のメッセージとして深く受け止めさせていただきます。本当にありがとうございました。

そしてセミナーBではeATの委員長を受け継いでいただいた中島信也氏を中心に進行。中島さんが心良く引き受けてくれたことに感謝。eATスピリットの継承者として他には考えられない人選だ。最近はご自分のCDを出す予定ということでまた新たな挑戦をはじめている。そばにはいつも実の弟である中島浩二氏がいる。聞くと二人はかなりの依存関係にあって、私は冗談で叶姉妹みたいだなと言ってしまったが、みんな笑ってくれた。

そして、今回のセミナーCは山口委員も書かれていたが、本当に深く感動しました。最初は佐藤さんが深澤直人氏にえらい気を使っているな。という印象だったが、深澤直人氏の世界観が解ってくるにつれ、どんどん引き込まれ、途中で必死にメモを取り始め最後まで止まらないほどでした。夜塾に参加出来なかったのでお話できずに残念だった。

夜塾はこれまでは旅館備え付けの音響だけで、200人が盛り上がるにはとても淋しいものだったが今年から音響がついて最高の環境でのスタート。圧巻のプレゼント抽選会での中島ブラザーズのウイットにとんだ進行は部屋の奥まで冴え渡り皆さん大満足。次回プロデューサの明和電気土佐社長、次々回プロデューサーの大樋年雄氏の紹介などでeAT金沢の今後の十年を語る場となっていった。

私はいつまで委員をやれるか解らないが、このイベントに参加できて本当に幸せでした。浜野委員長や委員の皆様、金沢市に深く感謝。このエネルギーを自分の作品として還元するべく制作に集中しています。
【2006/02/05 17:20】 | eAT金沢 | トラックバック(0) | コメント(0)
eAT金沢の話(5)
eAT金沢の話(4)をアップしてから随分時間が経ってしまった。めんたんぴんをめぐる騒動(笑)に気を取られてしまったこともあったが、eAT01はそれまでの流れから少し違ったニュアンスがあり、そのことを考えていると筆(キーボード?指?)が重くなってしまったからだ。

eAT01のプロデューサー、タナカノリユキ氏は当時売れに売れていた。当時破竹の進撃を遂げていたユニクロのCM(屋外でノイズ交じりのまま普通の人をインタビューするもの)やナイキのCM(視覚障害者が鈴の音を頼りに走り幅跳びをするもの)等を手がけて余りの忙しさに市役所でもなかなか連絡がつかず、スタッフは大いに苦労されたという。

そしてあらかじめ決められていた第二回目の委員会に彼は欠席した。「プロデューサーが欠席か」委員会の席にはなんとも言えない風が吹いた。eATの委員会は年に2回ある。第一回目に任命されたプロデューサーが地元の委員に紹介され、自分の展開したい案を述べる。そしてそれが承認され、実行可能な具体的な案を固め、第二回目で正式なプログラムとして承認されるのだ。

タナカノリユキ氏をとりまく環境が当時どんなものであったかは想像にかたくないが、市役所の担当者からどんなに連絡を入れてもつながらなかったり、彼を推薦した人にとっても大変な状況であった。しかし、本番は素晴らしかった。彼は弁舌にも長けた才能溢れるプロデューサーであった。

名人賞は糸井重里氏、それまで聞いた誰よりも解りやすく今日のインターネットの働きを紹介した。オープニングフォーラムでのケンイシイ氏(元電通マンでテクノ系DJの日本の草分けとして世界に進出、当時オリコン1位のアルバムを発表していた)の参加もタナカノリユキ氏だからこそ実現したものだろう。「Design X RAVE」と命名されたセミナーは以下の通り。

セミナーA
「モーショングラフィックス」田中秀幸(映像デザイナー)
原田大三郎(CGアーティスト) 菱川勢一(ドローイングアンドマニュアル、クリエイティブディレクター)コーディネーター:中島信也

セミナーB
「モバイルデザイン」 飯塚俊郎(松下通信工業(株) マルチメディアライフクリエイトセンターデザインクリエイト部長)宮田人司((株)ゼン代表取締役社長)高城 剛(ハイパーメディア・クリエーター)
コーディネーター:タナカノリユキ

セミナーC
「V・J」 平野友康((株)デジタルステージ、メディアクリエイター)
ヒロ杉山(ディレクター、イラストレーター)宝生さふか(映像作家)
コーディネーター:池田洋一郎

セミナーD
「デザインするのはどっち? クリエイター or ユーザー」八谷和彦(メディアアーティスト)福冨忠和(マルチメディアプロデューサー、ジャーナリスト)宮崎光弘((株)アクシス、アートディレクター)
コーディネーター:中谷日出

いやはや、凄いものである。第八代プロデューサーとなる中島信也氏、第九代プロデューサーとなる宮田人司も参加している。その時代の本当に先端をいったものだ。VJのコーディネーターを私が務めているが、正直言って私は2年は遅れていただろう。私がモーションダイブを買ったのはこのセミナーの後だった。その半年前に買っていればよかったと今でも悔やんでいる。

しかし私が10回のeATの歴史の中で、この回だけがなぜか異質に感ずるのは、当時ピークを迎えていたアーティストが大挙して集まったのは良いのだが、ただ自分たちの専門分野を披露するにとどまり、講師間や地元金沢との接点が少なかったからではないか。アーティストは創造時は非人間的にならざるを得ない。ひらめいているときにはどんな人から誘われても断るくらいは不思議ではないし、葬儀の席でも冷静に観察しているような視点がなくては創造はできないものだと理解している。

しかし、今の私は違うところに立っている。創造は環境とともに為されるコラボレーションなのだ。タナカノリユキ氏は当時そのことに気付いていなかったと私は思う。この違いは「凄いなあ」と思わせることにとどまるか、「人を感動させる」まで行くかの微妙な境界なのだ。そのことに気付いていた人、この回に参加した人たちが最も心を奪われたのが中島信也氏だった。彼の話術、作品がeAT金沢をしっかりと地に足のついたものとし、それからのeATを見事に軌道修正していった。
【2005/11/27 14:18】 | eAT金沢
eAT金沢の話(4)
掛須秀一さんは映画をデジタル編集出来る日本で最初のスタジオ「ジェイ・フィルム」を立ち上げた人で、日本の映画界の今日の躍進を仕掛けた主要メンバーの一人だ。「萌えの朱雀」のような当時無名だった河瀬直美監督の作品を編集し、カンヌの新人賞を取ったり、「甲殻機動隊」に代表されるまさにブレイクしつつあった日本のデジタル・アニメーションを支えていた。彼は実に気さくに付き合ってくれる。私のスタジオにも気軽に遊びに来てくれたし、当時映画館内CMの仕事を始めた私の素人質問に何回も丁寧に答えてくれた。本当に感謝している。

第四回目eAT金沢の目玉はオープニング・フォ-ラムでのMACH 1.67の演奏だ。MACH 1.67とは地球の公転速度で、石井聰亙監督をVJとする大音量ノイズギターのバンドユニットで、今は休止しているがこれがデビュー・ステージだった。第六代目プロデューサとなる小野川浩幸氏が音楽監督、ボーカルが浅野忠信、永瀬正敏 とくれば、これでeAT金沢も一挙にブレイクかと思われる勢いだ。事前に行われたサイン会には1000人を越える女子中学生、高校生の列が片町の地下街を横断していた。

しかし、文化ホールでのパフォーマンスは通常のエンターテイメントとはかけ離れた硬質なもので、映像は「怒り」がテーマのようなシーンが多く、立ち上がった女の子達はあきらかに戸惑っていた。会場には地響きするような重低音が響き、ステージ中央の廃墟のようなオブジェを浅野忠信がマイクスタンドで何回も打ち降ろし破壊する。前回の森村泰昌氏の全裸シーンのあるオープニングに続き、これを許容する金沢市は凄い。その時である。舞台下手の方からするりと永瀬正敏が現われ、ステージの中央近くで止まった。私は感動を覚えた。まさにそこ、ステージの重力関係とでも言うのだろうか。そこでしかない場所に立ったのだ。世界的な俳優の力を見た。リハーサルではなかったことだ、彼の自己演出だった。

翌日はセミナーが開かれる芸術村だ。この頃はまだセミナーが同時刻に2つ開かれる形式をとっていた。観客はセミナーAへ行き、Bが気になるとBへ移動する。自治体にありがちな窮屈なセミナー感覚ではない。富士ロックのような同時にいくつものコンサートが行われるスタイルを先取りしていた。しかしこれは後にゆっくり見たいという要望もあり通常のスタイルに変更された。ついでに言えば会場ではネクタイ禁止とか、入場の印が首から下げたCD-ROMであるとか、遊び心が行き届いている。浜野さんは市長がネクタイをしてきたらはさみで切るパフォーマンスをやりたいと言っていたが、さすがにこれは行われなかった。


セミナーでもこの熱気は続いた。なにせテーマは「ムービーウォーズ……これが映画を変える」だ。圧巻だったのは押井守監督、塚本晋也監督、石井聰亙監督がずらり並んだセミナーAだ、進行は掛須さん。どんなシーンを撮りたいかという質問に対して石井聰亙監督は「スタッフの気が結晶した瞬間」「これだ!というような制作スタッフが全員感動するようなシーン」というような文脈で答え、押井守監督にもこの質問が向けられた。すると彼は石井監督の意見を真っ向から否定する。現場での偶然の出来事はいらない。私が思い描いた世界を忠実に再現したいのだという。会場はどよめいていた。確かにアニメーション映画はそうだ。このメンバーは予定調和的な発言をしない。
【2005/10/21 19:15】 | eAT金沢 | トラックバック(0) | コメント(0)
eAT金沢の話(3)
eAT金沢の話(3)

3代目のプロデューサーは山口裕美さん。テーマは現代アート。浜野さんが「面白い女性がいる」と彼女を実行委員会で紹介したことを覚えている。彼女の速射砲のような喋り方にも驚いたが、エレガントなたたづまいの中に何か過剰なものを抱えている人だと思った。

その夜私達は片町へ繰り出した。みんな高揚していた。美貌の元日航キャリアウーマンは「やはりカラオケは立ちでしょう!」と立ち上がり歌い始める。「う...うまい!」聞けば青山学院の軽音でボーカルだったそうな。日本にも美形で国際的な仕事ができる女性がいることを今回の衆議院選挙で知ったが、1998年頃、彼女はひときわ輝いて見えた。

森村泰昌(美術家)、樋口真嗣(映画監督)、岩井俊雄(メディアアーティスト)、村上 隆(アーティスト)、日比野克彦(アーティスト) 彼らはすべて出世した。この人たちは確かな審美眼を持っている。地元からも初めて大樋年雄(陶芸家)が参加、個人的にはノーベル章候補と言われる清水博さんの「生命知としての場の論理―柳生新陰流に見る共創の理」(中公新書)にはまった。自分の知らない世界を体験したeATだった。

夜塾は江並氏が盛り上げた。この回あたりから私はCG界の巨星河口洋一郎氏に挑むが、スタッフの間からも「何を言っているのか良く解らない」という苦情が寄せられる。しかし、それが名物になっていく。焼酎を飲みながら聞こえて来るのは「芸術はサバイバルだ」という言葉だ。そして、「砂漠に実際行かないと、体でその色や感触を感じないと、砂漠の色は出せないんだよ」とか言い始める。高度なプログラミングCGを野人が操る桁はずれなスケールを感ずる。種子島出身。海の美しさを知っている人だと思った。

そして一番印象に残ったのは、プレゼント抽選会の時の浜野さんだ。彼に凄いプレゼントが当たり、「いやあ、強い星を持って生まれた人にはかなわねえな」と思った瞬間である。彼はそのプレゼントを大きな弧を描いて客の方へ投げつけた。そのあまりの勢いに、けが人がでるのではないかと心配したほどだった。私は浜野氏の目をみたが正気だった。そしてにっこり笑っていた。

この回あたりから露天風呂セッション(仮称)が行われるようになる。10人近くが円形に座れる露天風呂がK旅館にあり、そこに面白いメンバーが集まると、そこが夜塾の別会場になるのだ。2月と言えば外は雪である。体が冷たくなると湯につかる。自分の目線が丁度座っている人達の股間の高さになる。のぼせないうちに上がる。すると誰かがまた湯につかる。

それから数ヶ月後テレビを見て私は大笑いした。あるCMのせりふが、露天風呂での会話まんまだったからだ。みんな楽しんでいる。江並さんが山口さんに男風呂へ入って来いとからかったら、本当に入ってきたという噂もまことしやかに流れた。
【2005/10/20 02:11】 | eAT金沢 | トラックバック(0) | コメント(0)
eAT金沢の話(2)
eAT金沢の話(2)

何が面白いかと言って「遊ぼう」って本気に言われることだ。引く人は「ちよっと…」となるし、すぐに乗る奴は馬鹿だ。しかし参加することはできる。精神がダンスしている人達がいた。夜塾というプログラム。市議会でも「あれはなんだ?」という意見があったそうだ。しかしこのイベントの真髄は夜塾なのだ。運営委員、ゲスト講師、フリー客200人が湯湧温泉の大広間で朝まで語る。一夜限りのゴールデン街が出現する。次々と講師をはしごする人も多い。

運営委員や講師達が一夜の宴を自らが演出し、出演し、会場を盛り上げる立場にあると気付く。このあたりが実に洗練されている。さすがエンターテイメントを極めた人の演出だ。夜中の3時ごろ大騒ぎも少しは収まり私は休憩に風呂場へ行った。ここには素敵な露天風呂がある。しかし、風呂場へ入るとガラス越しに樋口監督が一人立ち月を眺めているではないか。このような場合邪魔はしない。そんな暗黙のルールが共有されている。

当初驚きの連続であった「eAT金沢」も参加してない人達から見ると、実に理解が出来ない。感性のない人達がいることは高校生の時に気付いた。「え?この良さが解らないの?」。解らないのだ。解る人からの苦言なら解る。eATの委員会でも問題が起こった。私は慣れない行政イベントのしがらみで、もう少しで自爆テロをやるところだった。でも、もう大丈夫。eAT金沢のためなら誰とでも上手くやって見せる。

初代プロデューサであった江並直美氏は関西出身の人で大阪万博で衝撃を受けた一人だと言う。いま検索するとhttp://www.japandesign.ne.jp/KUWASAWAJYUKU/KOUZA/98-1/GRA/ENAMI/
こんなサイトが残っていた。今は病気療養中というところだが、復帰は難しいようだ。

上記サイトのテキストを読んでいても私には全部彼の関西弁の語り口で聞こえてしまう。市役所からスタッフが東京の彼の事務所へお願いに行った時、彼は2時間語り続けたという。江並氏の一日も早い復活を願いながらも受けた影響の大きさに改めて気付かされる。eAT金沢立ち上げ時の最大のエンジンだった。

夜塾の目玉に講師が持ち寄るプレゼント抽選会がある。講師はプレゼント持参が義務付けられていて、これをなめた講師はその夜とても惨めに過ごさねばならない。みんな とんでもないものを持って来る。私がポケモンの金銀に様々なグッズ(テントまであった)をゲットした時は子供達から非常に尊敬されたものだ。夜塾に参加したほとんどの人が何かもらえるほどの量があり。デズニー・アニメの原画なんてものまであった。

そしてプレゼント抽選会の司会こそがeAT金沢の最高ポストであり、まさに江並さんの独壇場であった。彼が参加出来なくなり、この最高ポストを継いでくれたのが中島信也さんだ。中島さん以外にこの役は絶対に勤まらない。(中島さんについては別の号で特集します)

夜塾の朝は、バスの出発時間に間に合うよう、9時頃までに朝食を摂らなければならないのだが、この時にまだeATが終わっていないことに気付く。心地よい高揚感はまだ続いている。私達はバスに乗り金沢の市内で降り、別れを告げて初めて私の出番は終わったと思える。講師の人たちは羽田の飛行場で別れるまで「eAT金沢」は続くのだろう。私は家に帰り家内と子供達に話す。こんなことがあった。こんな話が面白かった。そんなことが毎年繰り返されている。
【2005/10/19 00:50】 | eAT金沢 | トラックバック(0) | コメント(0)
eAT金沢の話(1)
eAT金沢の話(1)

10年前と言うと1996年に世界のインターネットは終焉する。などいうタイトルのニューズ・ウイーク誌が発売された頃だ。ミックジャガーが激怒!ローリングストーンズが世界で初めてインターネット・ライブ中継、まったく繋がらず、繋がっても途切れ途切れの最悪の音質。

進歩的な地元誌の会長でさえもインターネットは廃れるものと認識していた頃だ。NTTのキャプテンシステムの失敗が響いていた。私はまだ泉野に会社があった頃で、自社サーバー一式を備えた石川県で5番目の会社だった。そこへNTTから出向で金沢市の企画調整課へきていたH氏と彼の部下のH氏が尋ねて来て委員への招請を受けた。彼らと外部のコーディネイターY氏が「eAT金沢」の創設メンバーだ。そして彼らの為した最大の功績は実行委員長に浜野保樹氏を選んだことだ。

浜野保樹氏と言われても正直私は何にも知らなかった。インターネットマガジンが創刊された頃で、慶応大学湘南キャンパスが紙面を飾っていた。私は柿木畠にある「うつのみや書店」で店の人に聞いた。「浜野保樹という著者名の本はありますか?」検索画面が切り替わり打ち出されてきた本の多さに驚いた。浜野氏の著作にはロックやパンクの激しさがある。ハーバードの客員研究員時代にパソコンで動画を見て次代を直感したという。

コンピューター画面を見て泣いたやつがいるか。そんなコンテンツが出来てはじめて本当のメディアになるんだ。デジタルの伝導師だ。彼は学生の頃、黒澤監督の映画チームで働いていた。とにかく豪快である。そして子供のように遊ぶ。これには私も巻き込まれた。彼は初対面の私に「めんたんぴんのくせに志が足りない」と言う。その言葉が今は少し解るようになった。

新鮮だったのは物事の決め方。ユーモアのセンスがないとついていけない。中身を伴った面白い話で全てが決まっていく。え?これ金沢市のイベントだよね。委員会に出るのが楽しくて仕方がない。出席する度に賢くなったような気がする。私はその頃専門学校で初めて教壇に立っていたが、話すことはeATのことばかりだった。それが日本の先端だった。

当時総務省の一研究員だった浜野氏や筑波大助教授だった河口洋一郎氏はともに東大大学院教授となった。関わったクリエイターがみんなブレイクしていく。しかし江並直美氏を半ば失った。戦死だ。eAT金沢初代プロデューサーである。彼の仕事や人生に対する気迫は凄まじかった。マックで日比野克彦氏達と徹夜でデジタル表現の可能性を実験していた頃があったという。

2代目の萩野氏も熱血漢だ。パイオニア・レーザーディスク部門の部長で、ハリウッドでの買い付けの最高責任者だった。ニューヨークを定点カメラで撮影したコヤニ・スカッティーやノイズバンド、ノイバウンテンのようなマニアックなレーザー・ディスクが国内版で買えたのは萩野氏のおかげである。売れなくて困ったよという話を聞いたことがある。

彼は独立しコンピューター出版会社を興す。ボイジャーだ。そしてコンピューターで本を読むためのユーザー・インターフェイス「エキスパンド・ブック」を自社開発し、青空文庫というネットの立ち読みサイトを一般に公開している。著作権の切れた名作をボランティアでデジタル化してくれる人たちで支えられているものだ。
http://www.aozora.gr.jp/

そんな熱い湯の中に私は一挙に首までつかり、すっかりのぼせてしまった。続く3代目は21世紀美術館の創設にも関わった現代アートのチアリーダー山口裕美さん、そしてCG界の世界的巨人河口洋一郎さん。とどめは中島伸也大先生。さらに綺羅星のような彼らの友人達が金沢へ飛来する。宮元茂、村上隆、樋口真嗣、ああ、HPを見てくれ。私はこの人達全員と話したことがある。

情報を受け取るだけで精一杯だった。どれだけ勉強したら彼らと普通に話せるようになるのか見当もつかなかった。 http://www.eat-kanazawa.jp/
【2005/10/18 01:17】 | eAT金沢 | トラックバック(0) | コメント(0)
創造研究家


社会との関係性をアートしています。自分の脳を創造し、その脳が何を作り出すのかが見たいという間接的な創造を考えています。

プロフィール

池田洋一郎

Author:池田洋一郎
アート系で社会との関係性を創造しています。ミュージシャンでありますが自分のイメージは少しずれています。自分の脳を創造し、その脳が何を作り出すのかが見たいという間接的な創造を考えています。

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